新聞で知った夢乃さんの活動。
『難民高校生ー絶望社会を生き抜く
「私たち」のリアル』
という本が発売されました。
................『難民高校生』とは 家や学校や、他のどこにも
「居場所がないと感じている高校生」のことを
私たちは、『難民高校生』とよんでいます。
高校時代、月25日渋谷で過ごす“難民高校生”だった仁藤夢乃さん。
家庭と学校に居場所を失い、渋谷の待ちを彷徨っていた「私」。
彼女がちいさなつながりから変わりはじめ、
自分への自信と社会での居場所を取り戻していく過程を描いている本とのこと。
...........(概略)...........
私たちは、この本を通して多くの方に、
高校生を取り巻く問題やその背景、「居場所のない高校生」の存在を
知っていただくと同時に、若者の可能性を感じてほしいと思っています。
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最近考えていたことは、すでに始まっていたんだ、と納得しました。
どこからか受信していたんですね、私は。
「高校生に居場所がない」
今、東京の府中という地方都市に住んでいる私ですが
中高生の居場所は、家、学校、塾、図書館、街といったところです。
そのなかで、監視されていない居場所はほんとに少ないと思っています。
どこにいても中高生には ” must " があふれています。
親は子供に「勉強してこい、部活してこい、」と言います。
学校や図書館などは、規制の多い場所です。
それ以外の場所は中高生の厳しい懐事情では、
なかなかつらいところです。
路上で缶ジュースが一番安上がり。
年金生活者や浮浪者のおじさんとおんなじ、路上でくつろぐ中高生。
地元の中高に通っていない中高生は、地元中高生にガンつけられる。
お金(対価)を払わないで、ゆったり自分磨きができる居場所は
いったいどこにあるんだろう、と不安になります。
図書館の中高生専用の部屋でも「静かに」があたりまえ。
叫びたい子は、1人カラオケにこもります。
水筒で水を飲みながら、ウィンドウショッピングしている女子高生
その時間、自分をみつめ、自分磨きをするために使えばいいのに、
と常々思っていますが、どうすればよいのか方法を模索しています。
この中高生たちはあっという間に大人になっちゃうんですよね。
この記憶をいだいたまま。
中高生に自分の力で成功体験を味わって欲しい、
このような気持ちが最近高まっていた私ですが、
「難民高校生」はガイド役を務めてくれそうです。
早速読んでみようと思います。
コメントをお書きください
仲 (月曜日, 29 7月 2013 14:36)
はじめまして。
仲と言います。
現在、大学生をしております。その本の著者とは予備校での知り合いであります。画像を見て、彼女もだいぶ立ち直ってきたなと思い、嬉しく思っています。
さて、このような高校生が出るのは、彼らが社会(学校、家、地域)から「排除」されるからです。現在の貧困は、昔や発展途上国における「欠乏の貧困」ではなく、「排除の貧困」です。「排除の貧困」は、物質的な欠乏ではなく、関係資本の欠乏です。それゆえに、非常に見えにくく、実は「欠乏の貧困」よりも深刻だったりします。実際に、発展途上国の貧困者よりも、先進国の貧困者の方が不幸せだと感じる人の割合が高いという統計もあります。これは何を意味するか。物質的なもの以上に、人間関係が重要だという事です。
ヨーロッパでは、必ずしもうまくはいってないのですが、、「排除の貧困」に対しては割と早くから対策をとっています。そのイニシアチブをとったのはブレア労働党政権であり、そのブレーンはアンソニー・ギデンズという社会学者です。対して日本では、いまだ有効な対策がとられていない。現在のセーフティーネットは「欠乏の貧困」のみを前提としているので、「排除の貧困」に陥る人が大量に出てきてもおかしくないわけです。
何故、このような事がおきるかというと、社会全体の市場システム化によって、地域社会が空洞化したからです。これにより、地域というある種のセーフティネットが崩れているのです。ヨーロッパやアメリカがまだマシだと思えるのは、そこには「宗教」というセーフティネットがあり、それが地域の空洞化を防いでいる。しかし、「無宗教」の国、日本では、「宗教」という歯止めがないので、よりいっそう深刻化するのです。
この問題の解決策で最も有効なのは「教育」、そして、「祖国」「家族」「宗教」「健全な市場」です。何故、教育が重要なのかというと、教育により、社会へアクセスする方法を習得できるからです。社会へアクセスする方法を知れば、金銭も得られるし、何よりも、人間関係を構築できる。残念ながら、現在の日本ではそのような対策はなされていません。
長文、失礼しました。
noric (水曜日, 31 7月 2013 12:48)
仲さん、はじめまして。
コラムを読んでくれてありがとうございます。
『難民高校生』読後、講演などで、夢乃さんに直接お会いして、現在の活動のお話もうかがいました。予備校時代があっての「溜め」が今の活動につながっていると感じました。
現在の貧困は、昔や発展途上国における「欠乏の貧困」ではなく、「排除の貧困」です。「排除の貧困」は、物質的な欠乏ではなく、関係資本の欠乏です。
本当ですね。仲さんはなにかをはじめられているのですか?
私は自分ができることはなにか、考えつつ、すこしでも前に進みたいと思っています。